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「宮崎に拠点をおくこと」 ピアニスト・作曲家 横山起朗 中編

Interview

作り手が、何を想い、どのように制作しているのか、背景なども合わせてご紹介していくシリーズ。
第1回は、ピアニスト・作曲家の横山起朗さんです。

私が、初めて横山さんの音楽を聴いたのは、約1年半前の福岡県大牟田市にあるカフェでした。
音楽のとらえ方も、人それぞれでしょう。その時に、流れていたCDアルバムの「she was the sea」からは、もの悲しさと心細さと何ともいえない気持ちになったことを覚えています。何を想いながら作曲しているのか、その原点は何なのか、いつかお尋ねしたい思っていました。それから念願が叶い、曲のこと、大切にしていること、その他の活動などをインタビューしています。 (聞き手:店主 末永)

 

横山起朗 / Tatsuro Yokoyama
武蔵野音楽大学を卒業した後、ポーランド国立ショパン音楽大学にてピアノを学ぶ。現在は宮崎、東京、ポーランドを拠点に演奏活動を行い、CM やテレビ番組等へ楽曲の制作、「nuun」のグループ活動、MRTラジオ「be quiet 世界で一番静かなラジオ」のパーソナリティをつとめるなど、日本 と海外を行き来し幅広く活動している。

 

正解がない音楽と未來


横山さんは、ピアノに限らず、ラジオのパーソナリティ、文筆、グループ活動など、幅広く活動されていますよね。多才だなって思います。

 

横山
好きだったアーティストがいろんな表現をする方が多かったんです。フランスのボリス・ヴィアンやセルジュ・ゲンスブールとか。音楽家でありながら小説を書いたり、絵を描いたり、詩を描いたり、そういう方に密かに憧れていました。

日本だと池田満寿夫さんみたいな方ですね。まず一つ自分の表現を確立していて、プラス何か他の表現もできる。ある意味、他のプロフェッショナルと戦うとしたら、技術的には劣っているかもしれませんが、その人独特の世界観が見える。技術によって隠されてない、その人の何かが見える。本業からちょっと横にそれた表現の方法もいいなと。

こういう曲をかいているけど、文章になるとこんなふうになるみたいな。文章の方がその人といるような気分になるなとか、そういうのが面白いと思ったんです。そんなことを考え始めて、スタンダードな位置から道を反れはじめましたね(笑)

 


そんなことを考えていらっしゃったのですね。


横山

ポーランドに行った時も東京にいた時も、やっぱりすごい人たちがいっぱいいたので、何か自分なりの何かがないと、と思いました。今はそんなことを思わないけれど、20代のときって人と比べちゃいますよね。

 


わかります。多分、横山さんが経験を重ねてきたからではないですか?

 

横山
そうですね。劣等感までいかないけど、自分には何があるんだろうっていうのをすごく探しましたね。ベートーヴェンの曲はみんなが知っているけど、自分の曲だと知っている人は少なくなるけど好きで聴いてくれているオリジナルを作れたらと今はそう思っています。

 


ポーランドから戻られたのは、5年前ですよね。

 

横山
5年経ちますね。



それを20代後半で確立されたのはすごいなって思います。

 

横山
何が正解かわかんないですよね。自分がいいと思ったら人からはいい反応がなかったり、こっちがあまりよくないと思っても人からはいい反応があったり。

 


音楽も、物事の見方も、人によって意見が違いますからね。

 

横山
音楽は、そこが魅力かなって思います。クラシックは、コンクールに出ても、1、2、3位っていう順位がついちゃうし、究極、クラシックの作者は亡くなっているから正解はないはずだけど、正解を求めちゃうんです。音楽だと正解や不正解みたいな答えみたいなものはないですね。僕も含めて、勘違いして答えがあるってみんな思っているんです。

 


たまに阿部海太郎さんやharuka nakamura さんの音楽も聴きますがお二人とも違いますし、横山さん独特の世界があるなと思います。

 

横山
いやいや、まだまだです。比べるじゃないけど、作曲をはじめて人前で演奏するようになったとき、いろんな音楽家の表現の仕方を見ました。坂本龍一さんや、haruka nakamuraさん、阿部海太郎さんの音楽を聴いていろいろ考えたけど、結局は自分のやりたいことをやればいいだけです。

最初は手探りでした。文章を書いたときに失敗したときもあったし、音楽をやっているときも違うなと思うときもあったんです。



横山さんの音楽って、夕暮れから朝方までの時間のうつろう感じ、夜に聴く感じの音楽かなと感じています。だから、ドライブ中に聴くと眠くなる、、、みたいな(笑)

 

横山
そうだと思います。なんかね、自然とそうなりましたね。でも夜に作っているわけじゃないんです。夜にピアノを弾くときもあるのですが、夕食の時にお酒を飲むとちゃんと弾けないので、朝から曲を作りますね。夜の方がなんかしっくりくるなって確かにあります。

 


てっきり夜に作曲しているのかと思っていました。初めて私が聞いたのが、アルバムの「she was the sea」で印象的でした。

 

横山
「she was the sea」 が、出発点みたいなものです。その前は全部自分1人でやっていたので、人が関わって制作した大事な作品になったのでうれしいです。どこで聴かれたんですか?


福岡県大牟田市にある「cafe nei」というカフェで流れていて、思わず誰の曲かお店の方に訊ねました。宮崎在住の横山起朗さんのCDですよって教えてもらったんです。

 

横山
流してもらえるのは嬉しいですね。あれはポーランドで録音をしたんです。
ビドウシュチという街の古いホールで、響きが素晴らしいところでマイクも10本以上立てたと思います。外には駐車場があるのですが、誰かが車を停めないように録音中の管理も徹底していました。さらにグランドピアノが4台あって、好きなピアノを選んで弾けるなんて夢のような施設なんです。会場費も日本に比べて安かったですね。古いグランドピアノを選んで、前日から当日までずっと調律師がついて、何かある度に全部チェックしてくれました。照明もほとんど落として、落ち着いた環境で録音させてもらいましたね。「she was the sea」の曲は結構激しくて、少しの灯りだと間違えてしまうことがあって、灯りをつけたらいいじゃんとか言われながら、それでも灯りを増やさずに録音しました。それもいい思い出ですね(笑)


今後の活動でやりたいことはありますか?


横山

海外とかで演奏する時間も増やしたいです。県外もですけど、ヨーロッパにも行きたいですね。

 


いいですね。


横山

ポーランドには友達もいて3年ぐらい行けていないので訪れたいですね。あと音楽もピアノを中心にすることは変わらないですけど、それを用いていろんな表現ができたらいいと思います。ピアノっていうのはぶれないでしょう。

 

宮崎に拠点を置くこと


今はどこでも活動できる時代になってきましたが、現在も宮崎にも活動拠点を作っている理由を教えてもらえませんか。

 

横山
正直深く考えてなかったんですけど、東京に7年間いて、その後ポーランドに3年間留学して、10年くらい宮崎にいなかったから、そろそろ帰りたいなって気持ちと、海や気候に惹かれるようになったんです。特にポーランドは寒かったし、ワルシャワだったから近くに海もなかったんですよ。だから自然と地元へ戻ろうかなと。あと東京でもいいと思ったんですが長いこといたので、漠然と東京じゃないところがいいなと思っていました。落ち着いたところで曲作りをしたかったですね。

 


確かに東京で曲を作るのと、宮崎で作るのは、違ってきそうですね。

 

横山
全然、時間の流れが違いますね。宮崎で1時間はすごく遠く感じるけど、東京の1時間はそんなに遠くないですもんね。電車で30分とか近いじゃんってみんな言うし。あとは僕を含め、周りもそうだったけど、東京で暮らしているとすごい人によく出会うんですよ。例えば、ピアノで有名な方の手伝いをするとか、その方の付き人になるとか、とにかく今まで憧れた人に結構会えるんですよね。そうするとやる気にもなる反面、自分がすごいって錯覚を覚えちゃうんです。その人と仕事している俺すごいみたいな、それが僕はちょっと嫌だなって思った時期がありました。宮崎にいれば誰も知らないんですよね。引っ張ってくれる人はいませんから。日本っていうくくりで見た場合、ちゃんと動いた分、何かしらの成果も得られるけど、動かないと逆に何もおきないという自分の危機感をちゃんと煽れるっていうのも考えていました。

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5/26 Fri. 公開予定
「今につながる音楽」 / ピアニスト・作曲家 横山起朗  後編

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