「陽につたう」 恋史郎コーヒー インタビュー
15年だろうな、と思う。15年続けられるのであれば、ひとつこう、街に根付いたとか言えるのかな。
<恋史郎コーヒー / コーヒー>
宮崎市にある小さな自家焙煎珈琲店です。「コーヒーが果実であることを日常に」をテーマに、スペシャリティコーヒーの本質を知ってもらいたいという想いから、浅煎りを中心に澄んだ中に個性あふれるコーヒーを提案しています。
ーー田中さんがコーヒーの焙煎を始めたきっかけを教えてください。
もともと、焙煎からコーヒー屋をするっていう構想が27才くらいからあったんだよね。きっかけは浅煎り。日本のスペシャルティで「浅煎りの走り」みたいな人たちが、俺が20才手前くらいの時から焼いてた。その当時のエチオピアを飲む機会があって、それがすごく攻めた浅煎りだった。そこからハマったね。
2015年8月に恋史郎コーヒーをオープンしたんだけど、2018年に隣の物件が空くことになって。じゃあそこを焙煎所で使うしかない! となって焙煎もスタートした。
ーー当時、カルチャーショックを受けるような浅煎りだったんですか?
とにかく浅かったの。ようするに反動で来てんの、今。どこまで浅く焼けるかでどんどんどんどん浅くしてった、ちょうどピークぐらい。世界的に見てもそうだった。世界の方がちょっと先行してたから、少し遅れて日本ではそのくらいの頃だったと思う。そこから世界的に、「これはちょっとポテンシャルを出せてないんじゃない? 浅すぎてフレーバー出てないじゃん」ってなってきて、じょじょに深くなっていったというか、適正になっていったの。
でも、あの時のエチオピアがとにかく美味しかった記憶がある。そうやって浅煎りの魅力にハマって、1〜2年ぐらいの間にコーヒー屋をする構想を持った。それから2年後にお店を出したよね。
ーーご実家のある宮崎県串間市*でオープンする構想もあった?
(宮崎県串間市*……宮崎県の最南端に位置する市。2024年現在の人口はおよそ15,000人。東部は日向灘、南部は志布志湾に面する)
そう、実家が民宿やってたからね。マリンスポーツ体験とか定置網とか色々してて、それに合わせてひとつの部門的な感じでカフェをするという案もあって計画が進んでたんだけど、結婚するタイミングで宮崎市の方に来たんだよね。
故郷じゃないんだったら、大学から社会人なりたてくらいの時に青春時代を過ごした、思い入れのある宮崎市内で出すしかないなと。その時、街中にスペシャルティの浅煎りが無かったのもあって。そう決めてから3ヶ月でオープンしたのかな。
ーー以前は、コーヒーを日常的に飲むタイプではなかったとおっしゃっていましたよね。
飲んでなかった。しかも未だに、コーヒーをたくさん飲める人間じゃないっていう(笑)
コーヒーを飲むのがものすごく好きだ!ってわけじゃない。しかも味のストライクゾーンが狭い。「何飲んだってうまい」じゃないから、自分自身で焼いてるコーヒーを飲んで「これはうまい」ってなるまで焼き続ける。「これはうまい」の回数を増やす作業。本当、ずっとそれなの。そのプロセスが好きなわけじゃん。
だからどちらかというと、飲むよりも淹れる方が好きなんだよね。
ーーそんなコーヒーを生業として、もうすぐ10年。長く続けて来られましたね。
でも10年ってすごく足りないなと思っていて。15年だろうな、と思う。15年続けられるのであれば、ひとつこう、街に根付いたとか言えるのかな。
お店っていうのは変化がないとどうしてもお客さんが離れていくというか、単純な言い方だと、飽きられちゃう。でもコーヒーってそれ自体がすごく変化に富んでるもので。例えば豆がエチオピアの1銘柄しかないとしても、焙煎度合い5段階で、焙煎度合いがちょっとずつ違います、っていうだけでもお店やれちゃうのよ。プラスしてエイジングとか組み合わせがいっぱいあるから。
自分が、うまいな、これだなって思うものに向かうだけで、お店がなんとなく変化しつづけているように見えるというのは、自分の性格的な……あまり「視野を広げたくない」とかの部分で言うと、性格に合ったものにハマれたなとは思ってる。
それはやっぱり自分自身が楽に生きる道だと思ってるし、近いところの話で言うと、自分が楽に生きれて収入をしっかり得られれば家庭の雰囲気もよくなるし、余裕が持てる。そして自分の仲良くさせてもらってる方々からは、それを俺らしさとしてと捉えてくださるのではないかなと。
だから生き方というか、身を置く場所というのは、自分で作るしかない。
ーーそうして宮崎の街中に、自分の身を置く場所を作って来られたんですね。今では、故郷の串間市に対してどんな思いを抱いてるんでしょう。
土地への思い入れが明確に出てる部分っていうのは、まさに店名。恋史郎は息子の名前だけど、恋っていう字がまさに自分の地元の「恋ヶ浦*」から取ってる。もういっこ言ってしまえば娘の名前にも恋を付けてるからね(笑)
串間全体で言うと俺はわからない。さっきの発言通り視野を狭くしたいから広く見るのが得意じゃない。なんだけど、恋ヶ浦への思いっていうのは「自分の幼少期の思い出が消えるんじゃないか」という焦りだね。地元の方言が消えていくかも、とか。カルチャーのコミュニティ、その土地のかなり根幹に近い部分が、このままだと消えるんだろうなって。
単純に寂しいし悲しいけど、だからと言って自分がどうこうできる話ではない。そうやって変化していくのが俯瞰して見たら歴史なんだろうとも思うけど。
あの土地で最も時間を費やしたのはサーフィン。そのサーフィンっていうのを、宮崎市に出てきてからは1回もやってない。道具も持ってきてない。
本当、あそこじゃないとダメなの。俺はあんまり過去の記憶がない人間なのに、「あの時のあの波」「あのライディング」って、めちゃくちゃ鮮明に覚えてるの。そうやって、恋ヶ浦に対して特別な感覚を持ってるから、いつか帰りたいなっていうのはゼロではない。
(恋ヶ浦*……串間市にある、入り江が美しい海岸沿いの地域。宮崎県内でも屈指のサーフィンスポットとして有名)
ーー故郷で過ごした記憶が、鮮烈に残っているんですね。
すごく楽しかった思い出は、幼少期で言うと、伊勢海老を網から外す作業。
ーーああ、田中さんの民宿、海の真ん前ですもんね。
海でずっと遊んでたからね。
でもめちゃくちゃ面白いの、網から伊勢海老を外すのが。やっぱり性格がもう決まってたんだなって思うわけ。知恵の輪なんだよ。どうやったらうまく外れるのか、絡まり方がみんな違ってるから。考えながらやるわけじゃん。ああいう風にひとりで没頭して、集中して最善を探るっていうのが、やっぱり自分は好きなんだろうな。
ーーすごいところに原点がありましたね。普通は幼少期に、伊勢海老を網から外すことは、無いです。
あまり無いと思う、確かに。
(取材)グンジキナミ
1990年えびの市生まれ。宮崎日本大学高等学校情報デザイン学科卒業。写真家。文筆家。文芸誌「文学と汗」編集長。2020年から横山起朗・玉利空海とともに音楽グループ「nuun」として活動開始。また本屋で長年働いてきた経験を活かし、MRTラジオ「GO! GO! ワイド」内コーナー「GOGO書房 本棚からひとつかみ」にて毎週、本を紹介中。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
宮崎で生活するなかで出会った、音楽、文学、美、食を表現する人。
共通しているのは、自分の考え方や、好きなものなどを大切にしながら、
独自のスタイルを持ちながら活動していること。
陽がつたうように皆さんの心に届いたらうれしいです。
今回は、宮崎と、宮崎にご縁のある方の出店です。どうぞお楽しみに!
ー 陽につたう ー
日にち | 2024年5月11日(土)- 12日(日)
時 間 | 11:00~18:00
場 所 | monne porteギャラリー
住 所 | 〒859-3711 長崎県東彼杵郡波佐見町井石郷2187-4
※波佐見有田ICより車で5分、嬉野ICより車で15分
※駐車場無料
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Tatsuro Yokoyama
Piano Solo live
言葉を紡ぐように、物語の情景が浮かぶように、静謐にピアノを弾く横山起朗によるピアノソロライブ。長崎では初めての演奏になります。美しいピアノの旋律に耳を傾けていただけたら幸いです。
日時 | 2024年5月11日(土)
開場 | 18:30~
開演 | 19:30~
場所 | monne porte(長崎県東彼杵郡波佐見町井石郷2187-4)
料金 | 前売り 3500円 / 当日 4000円
ご予約 | Mail. info@tsutau.net / Tel. 090-3609-6310
※5/11ライブと記載の上、「代表者名、電話番号、人数」をご予約ください。
横山起朗 | Tatsuro Yokoyama
武蔵野音楽大学を卒業した後、ポーランド国立ショパン音楽大学にてピアノを学ぶ。現在は宮崎、東京、ポーランドを拠点に演奏と作曲活動を行い、CMやテレビ番組等の楽曲提供のみならず、他ジャンルのアーティストと音楽で携わり続ける。
お問い合わせ先:
つたう(宮崎市宮田町3-34 一文字ビル1階)
info@tsutau.net
Instagram @tsutau_2022